織田信長の壷〜明智光秀と本能寺の謎〜

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本能寺の変の謎⑤~本能寺の変がなければ~織田信長の未来構想

time 2020/05/07

実は革新的な人でもなかった織田信長

織田信長といえば革新的である、という印象が強い。

しかし、最近は織田信長の実像に迫る本が出ており、意外と革新的ではない人物像が明るみになっている。

この2冊は一般の織田信長像を覆す良書だと思う。

というか、一般の織田信長のイメージが、小説やテレビドラマなどで脚色されすぎているだけで、当時としては常識をもった、そしてかなり固く、柔軟さに欠けたある意味アスペルガー気味な人間だと認識している。

覆される革新的な織田信長像

織田信長か朝廷・天皇を軽視していた?

織田信長は父織田信秀に影響されてか、朝廷を厚く保護している。

金銭的援助、内裏の修復、絶えて久しかった譲位の儀を執り行う(存命中には結局できず)等、式微と言われた朝廷を支えてきた。

一方で、官位にはあまり興味がなく、右大臣を辞した後は結果的に死ぬまで無官であった。

譲位を行なおうとしたこと、右大臣を辞したこと、馬ぞろえを行ったことを持って、朝廷と対立・緊張関係にあったという向きもあるが、うがちすぎだと思われる。

譲位は朝廷が望んでおり、天下の乱れと経済的理由によってやりたくてもできなかっただけであり、右大臣を辞した後も信長は位階は保持しているし、豊臣秀吉とくらべて朝廷官位と言うものに頓着していなかっただけであり、馬ぞろえも朝廷の希望で実施しただけであり、軍事的威圧ではない。

織田信長は室町将軍を軽視していた?

結果的に足利義昭の権力を制限し、追放するに至るが、織田信長は将軍の弟である足利義昭の上洛・将軍就任に尽力し、将軍家の威光を取り戻すために戦い、将軍とたもとを分かった後でもその死まで、足利将軍体制の管領(副将軍)として、将軍無き武家政権を支えただけのように思う。

元亀4年に最終的に足利義昭を追放することになるが、織田信長は最後まで下手に出て、実子を人質として差し入れてでも講和を望んでいたし、君臣の間柄であることにこだわっていた。帰洛交渉も行っていたし、足利義昭の子義尋を若公方として扱っていた。

織田信長はイエズス会を偏重していた?

ルイス・フロイスの著述をみるに、イエズス会やキリスト教を保護していたように見えるが、客観的に見れば、世の中を乱さない限りはどの宗教も容認していた。

また、荒木村重が寝返った際に、高山右近降誘のためにイエズス会を利用した時は、失敗したらイエズス会の布教を禁じるなどかなりの圧力をかけた。

織田信長は唐入りをしようとしていた?

おそらく、イエズス会の目的を知った時点で、つまり歴史上の豊臣秀吉の唐入りと同じ時間軸で、唐入りをしていた可能性はあるが、天正10年時点ではそのつもりはなかった(必要性が無かった)と思う。

天正十年のルイス・フロイスの書簡には、

信長は毛利を平定し、日本六十六カ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分け与える考えであった

という記載がある。

もちろん、文字通り信長が唐入りを考えていたという解釈も成り立ちうるが、

ポルトガルによるシナ征服を容認しないというスタンスを示したパフォーマンスかもしれず、

イエズス会側のポルトガルへ向けての布教が進まないことへの言い訳や、増強の理由づくりの可能性も否めない。

 

イエズス会の資料によれば、信長は「あのような遠いところから日本を征服することは不可能」という認識を示していたそうだ。

最大の問題は「三職推任」問題

いわゆる三職推任問題は、通説では

「朝廷が織田信長に対して、征夷大将軍、関白、太政大臣の位を推任した」

というものだ。立花京子氏が異説を提起し、織田信長が三職推任するよう圧力をかけた説や、天下所司代村井貞勝が勇み足で、と言う説もあるが、常識的に考えると朝廷の意向であろう。(学者は自分の存在意義を示すためか、通説に対して突飛な説を唱えて注目を集めようとするきらいがある

前年の左大臣推任がとん挫したしたこと、武田勝頼を滅ぼして天下統一が眼前であることから申し出たものと思われる。

この中で将軍就任を求められた信長は、断っている。

織田信長が織田幕府を開くつもりであれば、将軍宣下を受け、数年後に嫡子織田信忠に譲れば良い。

だが、それをしなかった織田信長は、いったい何になりたかったのだろう。

織田信長の考えとして、想像できるのは

・右近衛大将に任官した時点で武家の頂点に立っているため、征夷大将軍になることは不要と考えていた。

・征夷大将軍に魅力を覚えなかった。

・主君である足利義昭が征夷大将軍であるため、簒奪の汚名を恐れた。

・織田家を将軍家にするつもりがなかった。

・正統性を得るため、何回か断るというパフォーマンス。

・もうすこし後の時期で、就任しようと考えていた。

この時の織田信長の反応が、本能寺の変へとつながったのだと考える。

本能寺の変が起きなければ起こっていたであろうこと

①織田家に敵対する勢力がなくなり、天下静謐が実現する

②正親町天皇が譲位し、誠仁親王が即位する

③織田信長は征夷大将軍に就任しない

④織田信長は太政大臣に就任する

明智光秀に明確な意思があったなら、もしくは本能寺の変に黒幕がいたのであれば、これらが実現することは非常に都合が悪かったにということになるだろう。

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