織田信長の壷〜明智光秀と本能寺の謎〜

Just another WordPress site

本能寺の変の謎②~通説に見る本能寺の変・怨恨による明智光秀単独犯説~

time 2020/05/07

私が小学生の時、本能寺の変を明智光秀が起こした理由は、

織田信長に対する長年の恨みによるものだった

という説明が説得力を持って広く支持されていたように思う。

これを、怨恨説と呼ぶ。

ちなみに、本能寺の変を考えるときに、

「だれがやったのか」と、
「どうしてやったのか」

という二点が争点になる。

「だれがやったのか」という点では、

明智光秀が一人でやった「明智光秀単独犯説」と、

背後に明智光秀を操っていた黒幕がいたとする「○○黒幕説」

共犯者がいたとする「○○共犯説」

さらには、明智光秀は実行犯ではないとする「明智光秀不在説」などがある。

そして、「どうしてやったのか」という点では、

織田信長へ対する日ごろからの恨みによるとする「怨恨説」、

明智光秀が自ら天下をとろうという野心があったとされる「野望説」、

あとは各種黒幕説とセットでイエズス会や、朝廷や幕府を助けるためなどがある。

各種の説については、別に考えることにするが、ここでは、通説となっている「怨恨による明智光秀単独犯説」を考えてみたい。
では、「怨恨」とあるが、具体的にどのようなものがあるか見ていきたい。
①家康饗応時の不手際説
②明智光秀「骨折り」発言説
③明智光秀小用説
④母親見殺し説
⑤移封説
⑥付髪落下説

ここら辺が、怨恨説の具体的エピソードとして知られる。

本能寺の変の動機?①家康饗応時の不手際説

家康饗応時の不手際説だが、簡単に言えば、
徳川家康が安土へお礼言上のために来た際、明智光秀はその饗応役を仰せつかった。
その際に不手際があり、饗応役を解任されたため、恨みを抱いた、という。
「川角太閤記」に拠るもので、事実とはいいがたい。
はじめ徳川家康の宿所は明智邸の予定だったが、手配していた魚が腐っており織田信長の不興を買った。
宿所は堀秀政邸に変更となり、怒った明智光秀は腐った魚やらなんやらを安土城の堀に放り込み、悪臭が満ちた・・・。
「信長公記」によれば、徳川家康が安土へ来た五月十五日から饗応役として対応し、十七日に解任されている。
が、解任の前に中国の羽柴秀吉から応援要請があり、その後明智光秀は軍勢を集結していることから、不手際があったからの解任ではなく、中国遠征のために饗応役を解任されたという見方が強い。
また、この際、ルイス・フロイスの「日本史」によれば、安土城の密室で織田信長と明智光秀が二人で話していた際、信長が逆上し、光秀を足蹴にした、という。
が、密室で二人きりなのに、どうしてルイス・フロイスが知ることができたのかわからない。

本能寺の変の動機?②明智光秀「骨折り」発言説

甲州征伐(甲斐の武田攻め)が終わった際、明智光秀が「我々も骨を折った甲斐がありました」と発言したところ、織田信長の不興を買い、打擲されたため、それを恨みに思った、というもの。
「祖父物語」に拠っており、信憑性は低い。

本能寺の変の動機?③明智光秀小用説

織田信長との宴席で、明智光秀が尿意を催し、小用のため立ち上がったところ、織田信長の不興を買い、「酒を飲むか、それとも槍を飲むか」と刃物を突き付けられたため、それを恨みに思った、というもの。
「柏崎物語」などに拠っており、信憑性は低い。

本能寺の変の動機?④母親見殺し説

丹波攻めの際、明智光秀は敵である波多野兄弟を投降させるため、自らの母親を人質として波多野氏の八上城へ差し出した。
投降した波多野兄弟だったが、織田信長に殺されてしまったため、八上城の波多野氏の部下たちが報復のため人質であった明智光秀の母を磔にした。このことを恨みに思った、というもの。
「総見記」に拠っており、信憑性は低い。「信長公記」によれば、兵糧攻めで投降したとある。

本能寺の変の動機?⑤移封説

中国の羽柴秀吉の応援を命じられた際、明智光秀の領地である近江坂本と丹波を召上げ、代わりに、石見、出雲の二カ国(織田領ではなく、敵である毛利領)を与えられたことを恨みに思った、というもの。
「明智軍記」に拠っており、信憑性は低い。

本能寺の変の動機?⑥付髪落下説

斉藤利三の一件で、織田信長が明智光秀の頭をたたいた時、明智光秀の付髪(カツラ)が落ち、そのことを恨みに思った、というもの。
「稲葉家譜」に拠っており、信憑性は低い。

本能寺の変怨恨説の理由はどれも後世の脚色

以上、どれも小説を書く際には面白いエピソードとして活用できるが、どれも事実とはいいがたい。
ここから見える織田信長は、とても気分屋で暴力的だが、江戸期の朱子学的な思想が背景にある

そして、明智光秀は、中国攻めのための軍勢を集結し、率いているのをこれ幸いとし、中国へ向かわず、京へ向かい、本能寺の織田信長を討ち、積年の恨みを晴らしたのだった。
となるが、肝心の積年の恨みが、実は、そのエピソードそれぞれの信憑性がきわめて薄弱である。
もちろん、社会に出れば職場の上司など、理不尽で暴力的で責任を押し付けてくる人はたくさんいる。
それだからこそ、江戸自体から今まで、庶民感覚をくすぐり怨恨説は広く支持されてきたのだと思う。
だが、織田信長に仕え、その出世頭になるような明智光秀という男が、そんな理由で大それたことをするだろうか。そんな理由で本能寺の変を起こして、お家取り潰しになるリスクを負ってまで、明智光秀配下の部将たちが、支持するだろうか?
怨恨説については、
①織田信長への長年の恨みを晴らすだけなのに、クーデターを起こしている。
②織田信長への長年の恨みを晴らすだけなのに、織田信長の側近たちも殺害している
③織田信長への長年の恨みを晴らすだけなのに、時を措かず嫡子である織田信忠をも殺害している
④織田信長への長年の恨みを晴らすだけなのに、同じく天下所司代村井貞勝も殺害している
⑤織田信長への長年の恨みを晴らすだけなのに、明智家中が付き従っている
事が奇妙である。
松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に対し刃傷沙汰に及んだように、キレてしまったなら安土の殿内で突発的に刃傷沙汰に及んでもおかしくはない。
だが、突発的に織田信長を斬れないように、信長が用心を重ねており、また、明智光秀も恨みを胸の奥にしまっておけるタイプだったとして、中国遠征が千載一遇のチャンスであったので、軍勢を率いて囲んで殺したのかもしれない。
が、織田信長への恨みを晴らすだけだったら、織田信忠、村井貞勝を始末する必要はない
とすると、明智光秀は織田信忠、村井貞勝に対しても怨恨を抱いていたのか、それとも、織田家の天下を簒奪する明確な意思をもって、織田家の当主であり織田信長の後継者・織田信忠と、天下所司代村井貞勝を始末したことになるのではないか
まぁ事の真相は当事者同士にしかわからないが、どうも明智光秀という人物が、長年の怨恨(しかもそのほとんどは後世の創作)を晴らすという単純な理由で、事に及んだとは考えづらいし、そもそも怨恨説の理由が創作である。
世間もそう感じているからこそ、様々な説が噴出するのだろう。

本能寺の変怨恨説があり得ない2つの理由

結論として、本能寺の変怨恨説はあり得ないと考える。
①怨恨を抱いた理由となるエピソードがどれも後世の脚色であるため
②織田信長を殺害するだけでなく、家督を継いだ織田信忠、天下所司代村井貞勝をも殺害しているため
次は、野望説を考えたい。

down

コメントする





error: Content is protected !!