織田信長の壷〜明智光秀と本能寺の謎〜

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明智光秀の実像⑦~明智光秀の遺像は何歳に見えるか~

time 2018/06/19

明智光秀の遺像(肖像画)を考える

明智光秀の年齢についてはよくわかっておらず、根拠が乏しいながらも

①享禄元年(1528年)生まれ(享年55歳)説 通説 明智軍記
②永正十二年(1515年)生まれ(享年67歳)説 当代記
③不明(①・②以外)

の3つがある。そして、同僚の織田信長家臣団の年齢層を鑑みると、45歳から55歳の間であれば、違和感はない。

そして、最後に考えたいのは肖像画だ。

これは、藤本正行氏の「本能寺の変 ~信長の油断・光秀の殺意~」の「はじめに」の中に、

当時の画像は、像主の生前に作らる寿像は少なく、死亡の直後か、この信長像のように一回忌、または三回忌や七回忌などに礼拝供養のために作られた遺像(遺影)が多い。それゆえ、ほとんどの画像の像主は、晩年の要望で描かれることになる

引用元:藤本正行著「本能寺の変 ~信長の油断・光秀の殺意~

という一文があり、明智光秀の年齢に疑問を持つに至った。

歴史の教科書に必ず載っている織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、なるほど晩年の容貌だ。

しかし、明智光秀はどうか。

伝明智光秀像 岸和田本徳寺所蔵

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これが、明智光秀の肖像画として唯一伝わる、岸和田にある本徳寺所蔵のものだ。礼拝供養のために作られた遺像(遺影)と考えられよう。

これが、ほかの人物ではなく、明智光秀の肖像画だとすると、その享年とされる55歳に見えるだろうか

現在の、明智光秀の年齢は、故・高柳光寿氏をして「誤謬充満の悪書」と言わしめた「明智軍記」

順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元

という辞世があり、55年の夢と言っているのだから、55歳で死んだはずだ。という理由で、当時は数え年だから、天正十年(1582年)から54を引き、生年を享禄元年(1528年)と推定しているに過ぎない。

55歳には見えず、もっと若く見える。ましてや、当代記のいう67歳に見えるだろうか。

ただし、この遺像はあくまで伝・明智光秀像であり、本当は明智光秀でもなんでもない、全然別の人物を描いたものかもしれない。(伝源頼朝像、伝足利尊氏像のように)

次は、本能寺の変について考えてみたい。

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